解説山代温泉の歴史

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山代温泉は、1300年の歴史をもつ北陸の中でもっとも古い温泉地。

 高僧・行基が傷口を湧き水で癒す烏を見て、その湧き水は温泉だったことがわかり、  山代温泉の歴史が始まったという。   それ以来「からすの湯」と呼び親しまれてきた。
 
 平安時代末期には、現在、温泉地内に薬師如来が祀られている  薬王院温泉寺の基礎を築いたと言われる明覚上人により、七堂伽藍が建立され、  町は大いに賑わったとされる。
 
 戦国時代には、永禄八年(1565)5月に、傷を負った明智光秀が湯治のため、  10日間にわたって山代温泉に滞在したと伝えられている。

 光秀をはじめとした京の都の人々までもが山代の温泉を知り、  全国から人が集まったといわれている。

 明治時代には多くの文化人に愛され、詩人の与謝野晶子は、  「山代の いで湯に遊ぶ 楽しさは たとえて言えば 古九谷の青」と詠み、  泉鏡花は、「夢もおぼろな山代温泉」という言葉を記した。  食の世界・陶芸の世界でその名を知られる北大路呂魯山人もこの地を愛した。

 戦後は、北陸本線の電化、北陸自動車道の開通に伴い、関西の奥座敷として発展した。  年間250万人以上の人が訪れ、同時に日本有数の歓楽街も発達した。

 1980年代からは客足が次第に鈍り、最盛期には50軒以上を数えた宿泊施設はほぼ半減し、 県内トップだった宿泊客数も、能登にある和倉温泉にその座を奪われてしまった。
 現在は、文化や歴史的価値を重点に置き、歴史的な温泉として、歓楽温泉のイメージ脱 却を目指している。


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